rough consensus and running code

OSの進化に対して,ひらさんがデザイン時代の到来で,OSを評価するには,実用化,最適化,デザインという三つの視点があるんじゃないかと書かれている.OS研究空白の時代とも言える90年代から現在に至る時期は,前者二つが優先され,デザインは置き去りだった.IT利用のパイが大きくなるこれからは,デザインに対する要求が高まるという議論だ.

しかし、このパイは今後、確実に大きくなる。どの程度、大きくなるかは想像できないが、ともかく、とてつもなくでかくなることは確かだ。そうなると、いずれデザインに対する要求が高まる時期が来る。確実に来る。ミドルウェアでクッションすればカーネルは何でも良い、とかいう考えでは要求を支えきれなくなる。

これは汎化と特化と言い替えることもできるのかな.ちょっと違う?今は汎化のフェーズで,次は何かに特化したデザインのOSがでてくるだろうと.具体的なアイデアはないけど,Linuxを組込みOSとしてカスタマイズしました,とかとは違うレベルで何が出てくるだろう.

で,お終いではあまりにもお粗末なので,ちょっと考えてみる.90年代以降における最大のインパクトは,やはりインタネット(Web)の登場だろう.Webの登場にシステム研究者は係わることができなかったという話は,以前書いたが,Web登場前夜ぐらいに,OS研究者が何に熱中していたかというと分散OSである.みなが自分のシステムだけを使えばどんな理想郷が実現するかを提案していた.でも,世界が単一のシステムで動くなんてありえないのだ.一方,インタネットの成功が示した教訓は,「rough consensus and running code」だった.この「rough consensus」のエッセンスをOSのデザインに採り入れられないかな.

なんて考えると,すべての資源がファイルで9Pというプロトコルを使うという,Plan9の戦略は結構正しかったのではと思えてくる.でも,たぶん求められているのはファイルへの抽象化ではないんだな.ツリー構造へのマッピングも破綻しそうだし.

OSが誰とconsensusを取るかというと,通常はアプリケーションなんだけど,FPGAのようなプロセッサが容易に扱えるようになったし,ハードウェアも動的に変化する可能性もあるんだよね.そうなるとOSとハードウェアの関係も再考する余地が大きいと思う.