OSと失敗学

OS/2の歩みを振り返るという,OS/2追悼記事(?)を読んだ.短い記事だが,OS/2の他にもWorkplace OS,Coplandといった黒歴史が垣間見れる.OSの歴史は失敗の歴史でもある.まぁ,普通に考えれば,失敗して消えていったものの方が圧倒的に多い.以前書いた「OSの進化」などに登場するOSは,氷山の一角だ.でも,OSの「失敗」って何だろう?

そもそも何を持って成功,失敗と評価するかってのが難しい.売上げ,ユーザ数といった客観的なものから,アーキテクチャやコーディングの美しさという主観的なものまでいろいろな見方がある.商用OSと,Plan9のような研究OSでも,観点が違うだろう.商用OSはやっぱり売れてナンボだし,研究OSはいかにインパクトがある問題提起ができるか,後世まで生き残る遺伝子(コンセプト)を残せるかが基準だと思う.例えば,Plan9名前空間は,jailやcontainerだとか仮想化技術が騒がれている今こそ,もっと注目されていいと思う.

O'ReillyのOpen Sources - Voices from the Open Source Revolutionなど,成功したオープンソースプロジェクトの話はいろいろ見つかる.これからプロジェクトを立ち上げるとすると,成功談の真似をしてみたくなる.しかし,失敗したプロジェクトからも学べることはたくさんあるはずだ*1.「失敗は成功のもと」とも言うではないか.

そんなことを思いながら,畑村洋太郎氏の「失敗学のすすめ」を手に取った.失敗学とは,その名の通り,過去の失敗に学び,原因を追求することで,今後の創造に生かそうという学問である.ここでの「失敗」の定義は,「人間がかかわって行なう一つの行為が,初めに定めた目的を達成できないこと」,「人間がかかわって一つの行為を行なったとき,望ましくない,予期せぬ結果が生じること」とのこと.読後に,「OSと失敗学」について,何らかの知見を書ければいいと思っている.

失敗学のすすめ (講談社文庫)

失敗学のすすめ (講談社文庫)

*1:オープンソースのバザール的開発は,ミクロなレベルの不具合を早急に摘むことで,マクロなレベルの崩壊を防ぐのには,すごく効果的な手法だと思う.このレベルの失敗の検証もまだ形になっていないけど,ちょっと始めたところ.対象はPlan9じゃないので,ここには書かないけど.